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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10577号 判決

原告 宮本佑二 外一名

被告 東京税関労働組合

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  原告らが被告の組合員たる地位を有することを確認する。

2  被告は、原告らそれぞれに対し、金一〇万円及びこれに対する昭和四九年一月一二日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求の原因

一  当事者

1  被告は、大蔵省関税局に属する税関事務一般を取り扱う東京税関に勤務する職員によつて組織された労働組合(以下「被告組合」という。)であり、全職員約一五〇〇名中約一〇四〇名の組合員を擁する。

2  原告らは、昭和四八年五月二九日当時、いずれも被告組合の組合員であり、原告宮本は執行委員・青年部部長、原告植松は青年部副部長の任にあつた。

二  本件除名処分

原告両名は、昭和四八年五月二九日開催された被告組合第九回定期大会において除名処分(以下「本件除名処分」という。)を受けた。

三  除名処分の違法無効と原告らの被つた損害

本件除名処分は、処分理由がないのにもかかわらず行われたものでありまた不公正な手続により行われたものであつて、違法無効である。

原告らは、右違法な処分によりその名誉を著しく傷つけられ、甚大な精神的苦痛を受けた。右精神的苦痛を受けたことによる損害は、金銭に見積ると各自金一〇万円を下らない。

四  請求

よつて、原告らは、原告らが被告組合の組合員としての地位を有することの確認を求めるとともに、被告組合に対し、慰藉料として各自金一〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一二日から支払いずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求原因に対する答弁

一  請求原因第一、二項は認める。

二  同第三項は争う。

第四被告の主張

一  除名問題が起きるまでの事実の経過

1  全国税関労働組合と被告組合との関係

(一) 税関に勤務する大蔵事務官によつて組織される労働組合としては、かつては全国税関労働組合(以下「全税関労組」という。)が唯一の存在であつた。ところが、昭和三六年八月から同年一二月にかけての神戸税関における争議行為を契機として、組合員らがこの闘争方針に疑問を抱くようになり、昭和三八年三月九日まず神戸税関において全税関労組の指導方針に理念上・運動上服しえなくなつた組合員らが全税関労組より脱退して神戸税関労働組合を新たに結成し、次いでこの運動が全国の各税関に波及し、東京税関においても昭和四〇年二月被告組合が結成された。

(二) 被告組合の運動方針、指導理念は全税関労組とは全く異なりまた被告組合が全税関労組から分離独立したという経緯もあつて、被告組合と全税関労組との関係は俗にいういわゆる犬猿の仲であり、職場内においては両者は対立関係にあつて、被告組合は全税関労組とはいわゆる共闘を全くしないし、また、全税関労組は被告組合の組合員に対し機関紙等を通じて全税関労組に加入するよう積極的に勧奨しているのが、現状である。

ちなみに、昭和四七年五月二〇日開催された被告組合の第八回定期大会においては、(1)政党との特定の関係は一切もたないこと、(2)運動方針として経済問題を最重点にとり組む、(3)特定の目的や思想による組合指導を絶対に排除する等の指導理念が提案可決され、また、(1)組織の競合関係にない組合との共闘には必要に応じて積極的にとり組む、(2)競合関係にある組合とは、当面共闘をしない等の共闘原則が決議されている。

2  基礎科研修制度と原告らの行動

(一) 昭和四〇年、大蔵省関税局(以下「当局」という。)は、同年の初級職男子新規採用者を対象に、基礎科研修という研修制度を発足させた。右研修制度は、全寮制で、対象者は全員これに参加することを義務づけられている。

(二) 全税関労組は、昭和四六年一二月、当局に対し、基礎科研修に参加する研修生に、超過勤務手当と日額旅費を支払うよう申し入れを行つた。

(三) 被告組合は、右問題については、当時検討、研究中であつたが、昭和四七年四月八日開催の被告組合第六回青年部大会において右問題が討議の対象となり、被告組合青年部として右問題を運動方針として取り上げるかどうかが論議された。その結果、「支払要求は、該当者等の意見の把握をしていないので、今は取り組めないが、今後の部員の意見によつては、取り組む。」、すなわち、被告組合青年部大会の決定の結論としては、「現時点では、取り組むについて検討不足であるから、暫時取り上げない。」ということになつた。

更に同年五月二〇日開催の被告組合第八回定期大会において、オブザーバーとして出席していた被告組合員金子健次から、右問題について被告組合の執行部の見解をただす質問があつた。これに対し、当時の被告組合執行委員長松橋和夫は、「基礎科研修生の問題については、今後組合として改善に取り組む。」旨答弁した。

(四) 昭和四七年五月、参議院大蔵委員会委員が新宿区市ケ谷本村町所在大蔵省税関研修所を視察し、その結果、右委員会委員長は、大蔵省に対し、研修制度の改善を勧告した。

(五) ところが、全税関労組が同年五月に発足させた「基礎科研修民主化委員会」(又は民主化する会ともいわれている。)の呼びかけで、昭和四七年一〇月一六日、裁判所共済組合の施設の「みやこ荘」において、「研修生の超勤費と日額旅費の支払」についての学習会が開催され、その際全税関労組の中田書記長が講師として出席した。

(六) 昭和四七年一〇月二五日、原告植松は、当時被告組合青年部副部長の要職にありながら、前記「みやこ荘」を当時の全税関労組東京支部青年部長国井克宏の名において借用し、学習会を主催した。この会には約四〇名の参加者があり、全税関労組員二名もこれに参加した。前記国井青年部長も、この学習会に参加し、原告植松とともに参加者を指導した。

(七) 昭和四七年一一月一日、南部労政会館において、同年一〇月二五日の学習会の申し合わせに従い、各期の代表者が、東京税関勤務職員のうち基礎科研修終了者のなかから約五〇名を集めて集会を開催し(全税関労組組合員三名参加)、「三四万円とる会」を発足させた。

(八) 昭和四八年三月六日、「三四万円とる会」は、品川産業会館において総会を開催し、要求行動を開始すべき旨決議した。このなかには全税関労組員も含まれていた。

そして、同年三月八日、右「三四万円とる会」は、統一行動日として、霞ケ関一帯にビラ(霞ケ関に働く労働者に訴えますと題する文書)を、また、職場内にはちらし(機関紙七〇号)を配布し、人事院へ要請団を派遣し申し入れをした。

3  被告組合の対応

(一) 一方、被告組合においては、参議院大蔵委員会の勧告がその効を奏せず組合としてこの問題をとり上げるべき時期にきたものと判断して、昭和四七年一一月二一日開催の執行委員会において、「研修生の超勤手当及び日額旅費について」検討すべき旨を決定し、同年一一月二七日開催の執行委員会において、「職場討議資料をつくり、全職場オルグを行う」ことを決定した。そして、同年一一月三〇日の執行委員会において、右問題について「オルグ後アンケートを実施」することを決定し、同年一二月四日から一四日にかけて職場オルグを行い、同時にアンケート用紙を配布した。

昭和四八年一月一〇日から一二日にかけてこのアンケートは回収されたが、回収率はかなり低調であつた。しかし、回収したものの九〇パーセントが「研修生の超勤手当及び日額旅費」については請求すべきであるとの意見であつた。

(二) そこで、被告組合は、同年一月一七日の執行委員会において本問題を労組として取り上げることを決定し、同年一月二一日には「要求書」を作成検討、同年二月二日には大蔵省に対し「超勤及び日額旅費支払要求書」を提出し、同年二月一二日には、被告組合としてはじめて要求集会を開催した。更に、同年二月一六日には、行政措置要求書を作成し、被告組合としては同年二月一七日、被告組合の上部団体である税関労働組合全国連絡協議会(以下「税関労連」という。)としては同年三月一日に、行政措置要求書をそれぞれ人事院に提出した。なお、同年三月一五日、二七日には、被告組合として、研修問題につきビラ配布などの行動をとつた。

二  除名原因

1  原告植松

(一) 昭和四七年一〇月二五日に開催された学習会は、被告組合と対立関係にある全税関労組が事実上中心となつて主催したものであり、かつ、全税関労組が被告組合切り崩しのため巧妙に仕組んだものである。

(二) 原告植松は、被告組合の青年部副部長の要職にあり、右学習会がいかなる組織、目的をもつものであるかを熟知しているにもかかわらず、あえてこれに参加し、これを推進し、右学習会を通じ被告組合と対立関係にある全税関労組の書記長、青年部長ら役員と親交を結び、共同歩調をとる行動をとり、共闘行為を行つた。

(三) 右行動は、被告組合の全税関労組と共闘をしないという指導方針に明らかに反し、組織統制上不都合なものであるから、被告組合規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」に該当する。

2  原告宮本

(一) 原告宮本は、被告組合青年部部長、執行委員の要職にありながら、「三四万円とる会」の会員であつた。右会は事実上全税関労組の被告組合切り崩しのための橋頭堡たる性格をもつていた。そこで、被告組合執行委員会は、昭和四八年三月八日、被告組合の組合員で三四万円とる会に加入しているものは会から脱退するよう勧告すること及び各執行委員は会所属の被告組合組合員に対し積極的にこれが脱退勧告をすることを決議した。

しかるに、原告宮本は、右会から脱退しようとしないしまた会員に脱会の勧告もせず、右委員会の決議に従わなかつた。

(二) 被告組合は、前述のように、昭和四七年五月二〇日に開催された第八回大会において全税関労組と共闘しないとの方針を決定していた。ところで、昭和四八年四月七日開催予定の被告組合青年部大会に付議すべき議題を審査決定する執行委員会が同年三月一五日に開催されたが、その際、その議題のうち「全税関青年部との関係」と題する部分は右共闘原則に反するとして全文削除を命じられた。それにもかかわらず、原告宮本は、同年三月二七日の執行委員会において右「全税関青年部との関係」を運動方針に掲げたいと主張し、更に検討が行われた結果、右提案は否決され、したがつて、「全税関の関係」とか「全税関青年部との関係」とかは一切運動方針(案)に掲載できないこととなつた。

しかるに、原告宮本は、右の事情から全税関労組との関係を議題にしてはならないとの原則を熟知していたにもかかわらず、昭和四八年四月七日開催の被告組合青年部大会において、書記長の住谷恒夫に全税関との交流について運動方針の説明をさせて前記の全税関労組との交流については運動方針案として青年部大会に提案してはならないという執行委員会の決定を口頭で提案するという形式で破り、また、原告植松をして組合員に対し全税関労組との関係について討議を呼びかけさせ、組織決定を無視し、被告組合青年部を全税関労組との共闘にまき込もうとした。

(三) 昭和四七年一一月一一日全税関労組東京支部青年部長国井克宏から被告組合青年部長宮本佑二あて「基礎科研修の民主化に関する要請書」がよせられた。この文書は両組合青年部間の共闘を求める文書であり、とうてい被告組合においてはこれに応ずることはできない内容を含んでいた。

被告組合青年部は組織上被告組合の統括下にあり青年部長は被告組合を代表する権限を有しないところ、原告宮本は、被告組合執行委員会にそのような文書が寄せられた事実の報告をしまたこれに対する回答について討議を求める等の組織上の手続をとることなく、独断で、昭和四八年二月二〇日付でみずからの名においてこれに対する回答をした。

(四) 以上(一)ないし(三)記載の原告宮本の行為は、被告組合規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」に該当する。

三  除名手続

1  執行委員会における手続

(一) 昭和四八年四月一八日開催の被告組合執行委員会において、原告宮本の処分問題について討論採決したところ、次のような結果となつた。

役職剥奪     一名

除名       〇名

みずから脱退すべきである。従わないときは大会にかけて除名 一一名

役職剥奪脱退勧告 一名

棄権       二名(一名は宮本)

(二) また、原告植松の処分問題について討議採決したところ、次のような結果となつた。

権利停止でよい  一名

権利停止以上  一二名

棄権       二名(宮本を含む。)

そこで、重ねて、権利停止以上と意思表示した者につき更にその処分内容につき採決したところ、次のような結果となつた。

脱退勧告(従わないとき除名) 一一名

大会で除名    一名

2  大会における手続

(一) 昭和四八年五月二九日の被告組合第九回定期大会において、原告ら両名を右大会に出席させ、十分に弁明の機会を与え、処分問題について討論し、慎重審理の結果、まず、次のような決議が行われた。

(1) 処分保留にすべきかという点について、次のように決定された。

賛成      三一名

反対      六七名

無効       二名

白票       三名

(2) そこで、更に、原告各人についてその処分内容の当否について審理採決したところ、次のような結果となつた。

(ア) まず、原告植松の行為が処分に価するかとの点に関し、次のような結果となつた。

価する     七六名

価しない    二二名

白票       五名

(イ) 次に、原告宮本の行為が処分に価するかとの点に関し、次のような結果となつた。

価する     七五名

価しない    二三名

白票       四名

(二) 以上のようにして、同大会において討論採決の結果原告両名は、処分相当とされたわけであるが、次いで、処分の程度について審理採決したところ、次のような結果となつた。

(1) まず、原告植松の処分を如何にするかとの点につき次のようになつた。

除名相当    六六名

権利停止相当  二五名

白票       〇名

無効       一名

その結果、原告植松については除名処分にすべき旨が決定された。

(2) 次に、原告宮本の処分を如何にするかとの点につき、次のようになつた。

除名相当    六三名

権利停止相当  二六名

白票      一三名

無効       〇名

その結果、原告宮本についてもまた、除名処分にすべき旨決定された。

(三) 以上のとおり、原告両名の処分は原告らに充分弁明の機会を与えその主張を尽させたうえ、決定されたものである。

第五被告の主張に対する認否

一  除名問題が起きるまでの事実の経過について

1  全税関労組と被告組合との関係について

(一) (一)の事実は認める(ただし、被告組合結成の経過はおおむねそのとおりであることを認める。)。

(二) (二)の事実中、被告組合の第八回定期大会において被告主張のような指導理念及び共闘原則が運動方針として提案され決議されたことは認める。

2  基礎科研修制度と原告らの行動について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)の事実は認める。

(三) (三)の事実中被告組合が基礎科研修生の超勤手当、日額旅費の問題について当時検討中であつたことは不知。被告組合第六回青年部大会において右問題が討議の対象となり、論議されたことは認めるが、その結果の点は争う。結果は、この問題に積極的に取り組むという方向で決定が行われたものである。また、被告組合第八回定期大会において、金子組合員の質問に対し松橋委員長が基礎科研修の問題について答弁を行つたことは認める。

(四) (四)の事実は認める。

(五) (五)の事実は認める。

(六) (六)の事実中、被告主張の日時場所において学習会が開かれたことは認める。

(七) (七)の事実中、被告主張の日時に約七〇名の参加者により学習会が開催されたことは認める。

(八) (八)の事実中、「三四万円とる会」が昭和四八年三月六日品川産業文化センターで総会を開いたこと及びその意思統一により、ビラまき、人事院への要請団派遣等が行われたことは認める。

3  被告組合の対応について

(一)、(二)の事実は、おおむね認める。

二  除名原因について

1  原告植松について

(一) (一)の事実は争う。

学習会は、基礎科研修受講者有志の呼びかけにより本来超過勤務手当、日額旅費の支払いを受けるべき立場にある受講者達が自分自身の権利、要求の内容、法的根拠等を学習するために自主的に開かれたものであり、全税関労組の被告組合切崩しのためのものではない。

(二) (二)の事実中、原告植松が被告組合の青年部副部長であり、学習会に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) (三)は争う。

2  原告宮本について

(一) (一)の事実中、原告宮本が「三四万円とる会」の会員であつたこと、被告組合執行委員会が右会から脱退するよう勧告することを決議したこと、原告宮本が右会から脱退しなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。

三四万円とる会も、全税関労組の指導のもとに結成運営されたものではなく、受講者を中心として結成された組織である(ちなみに会員中一二五名が被告組合青年部の組合員であり、全税関組合員はわずか八名である。)。

(二) (二)の事実は争う。

(三) (三)の事実中、全税関青年部長国井克宏より被告主張の要請書が寄せられ、原告宮本がこれに回答したことは認めるが、その余の事実は争う。

(四) (四)は争う。

三  除名手続について

三の事実の経過は、おおむね認める。

第六原告らの主張

一  (一) 労働組合は、労働者の経済的地位の向上に資するため、使用者に対抗して活動する闘争団体であるから、統一意思を形成し、それに基づいた組合員の集団的統一行動が要請される。労働組合の統制権の実質的根拠は、対外的対抗関係における戦闘性を保障するための内部規律の必要性という点に求められる。右のような本質的性格から、統制権の対象は、対使用者との関係において組合の団結力を破壊するような行為―たとえば、争議時において使用者と通謀して組合団結を破壊するような行為あるいは使用者の意向を代弁して組合の意思形成を妨害するような行為等に限られるべきである。

(二) また、統制権の行使が許される場合とは、当該統制処分の対象となつた行為が当該組合の「団結権侵害の実害発生もしくはそのおそれ」を招来するものでなければならず、しかも、その団結権の侵害は、単に組合の秩序を乱すおそれでは足りず、実質的な団結権侵害の発生又はその蓋然性を必要とする。

(三) また、統制権の対象とされる行為が表現の自由あるいは学問の自由にかかわる場合には、これらの自由が民主主義社会における最も重要な基本的人権の一つであることから、統制権の行使には極めて慎重な態度が要請される。

(四) また、統制権は、組合の日常的運営が、組合員の要求を充分にとりあげかつ全員参加の原理のもとに展開され、組合員の利益を擁護し、その実現のための闘争力の強化のために活用されている限りにおいて、正当性を有する。したがつて、組合の日常的運営がかかる原理に背いている場合には、統制権の行使は許されない。

二、原告らは、いずれも基礎科研修に参加した者であり、法律上未払の超過勤務手当日額旅費を請求する権利を有している。したがつて、個人として右請求権を行使しその実現をめざして行動することは、市民的権利の行使や自由の範囲の行動として、本来何びとによつても制約されるべきいわれはない。そうである以上、同一の権利を有する者達が共同して法的根拠を研究し、それを広く普及宣伝し、要求実現をめざす行動組織を作ることも、全く自由であり、これらの者がその正当な要求を組合が取り上げるよう他の組合員に働きかけることも、少数組合員としての正当な権利行使である。原告植松の学習会の開催並びに原告らの三四万円とる会への参加及びそこでの行動を統制権の対象とすることは、原告らの有する固有の市民的権利や自由(表現の自由、集会結社の自由、学問の自由)を不当に制限し、原告らの自主的自発的活動を抑圧阻害するものであつて、許されない。

三  学習会及び三四万円とる会に組合所属を異にする者が参加していたとしても、それにより各組合が対使用者との関係において組合本来の活動を展開することが阻害されなければ、組合はこれに統制力を及ぼすことはできないところ、本件ではそのような事情は全く存在していなかつたのであるから、被告組合は原告植松の学習会開催及び原告らの三四万円とる会への参加及びそこでの活動について統制権の対象とすることは、許されない。

四  原告らの行為は、いずれも被告組合の決定した共闘原則に違反するものではない。すなわち、共闘原則は組合と組合との関係を規律するものであるが、原告植松の行動は個人としてした行動であつて被告組合が全税関と共闘したことにはあたらない。また、原告宮本が被告組合青年部大会において全税関との共闘について討議を認めたことは、要求が一致し要求が前進する見通しがある場合にはその時点で検討を加えるとして全税関の共闘もありうることを示唆した共闘原則にそうものであつても、これに違反するものではない。したがつて、原告らの行動を共闘原則違反として統制権の対象とすることは許されない。

五  原告らの行動は、被告組合が本来追及すべき労働者の権利の擁護に動こうとしなかつたためやむをえず行つたもので、組合本来の目的に合致し、実質的に団結権の強化の役割をはたしたものであり、これにより被告組合の団結が実質的に阻害された事実はないから、これを統制権の対象とすることは許されない。

六  仮に原告らの行動が統制権の対象となるとしても、被告組合は、原告らに対する除名処分を正当化するため、大会前に教宣活動を活発に行い、組合員が反対の意思を表明することができないよう世論操作を行い、原告らの弁明の機会及び方法を極めて制限したものであつて、除名につき公正な手続をふんでいないから、本件除名処分は無効である。

第七証拠〈省略〉

理由

第一本件の問題点

原告らが昭和四八年五月二九日当時被告組合の組合員であり、原告宮本は執行委員・青年部部長、原告植松が青年部副部長の任にあつたこと及び原告両名が前同日開催された被告組合の第九回定期大会において本件除名処分をうけたことは、当事者間に争がない。

本件の主要な争点は、本件除名処分の効力及びその違法性の有無にある。

第二本件除名処分の効力及び適否

一  事実関係

1  被告組合と全税関労組との関係

税関に勤務する大蔵事務官によつて組織される労働組合としてかつては全税関労組が唯一のものであつたこと、おおむね被告主張の経過で被告組合が結成されたこと及び被告組合の第八回定期大会において運動方針として被告主張のような指導理念・共闘原則が提案されて決定されたことは、当事者間に争がない。右当事者間に争のない事実に成立に争のない乙第一号証の一ないし三、同第二号証の一ないし三、同第三号証、同第四号証の一、二、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一三、一四号証、同第二四号証、同三一号証、証人古沢今朝雄、同稲森増多、同松橋和夫、同小泉泰則の各証言を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一) 税関に勤務する大蔵事務官によつて組織される労働組合(職員団体)は、昭和二一年から全国各税関においてつぎつぎに結成されていつたが、昭和二二年一一月それが単一化されて全税関労組が結成され、各税関にその支部が置かれることとなつた。発足当時の全税関労組は、経済闘争を中心に日常的な運動を展開していた。ところが、昭和三三年に総評に正式に加盟してから次第に政治闘争に傾くようになり、特に神戸支部では過激な闘争姿勢を示すようになつていたが、昭和三六年八月から同年一二月にかけて神戸税関において行われた争議行為等を理由に同年一二月同支部の三役が免職処分を受けるという事件を契機として、全税関労組の闘争方針に批判的な者があらわれるに至つた。そして、昭和三八年三月九日、神戸税関において、全税関労組の指導方針に服することができなくなつた同労組の組合員がこれより脱退して神戸税関労働組合をあらたに結成し、次いで、この運動が全国各税関に波及し、東京税関においても、昭和四〇年二月二八日有志により被告組合が結成された。全税関労組は、昭和三六年ころには、組合員約五〇〇〇名を擁していたが、その後右のような経緯で脱退者が相次いだため、昭和四六年三月ころには、組合員は、全国で約七〇〇名位、東京支部で約一三〇名位にまで減少するに至つた。

(二) 全税関労組は、いわゆる総評傘下の労働組合(職員団体)であり、過去においてしばしば、日米安保条約反対、警職法反対、ベトナム戦争反対等の政治的な要求を掲げて争議行為を含む闘争を行つていたが、昭和四八年ころにおいても争議行為をもあえて辞さない闘争方針をとつていた。これに対し被告組合は、結成当初から、特定の政党と関係をもたないことを建前とし、経済的要求を重視し、当局との話し合いによる解決を原則とする運動方針をとつていた。このような運動方針の差異ばかりでなく被告組合結成の経緯もあつて、被告組合と全税関労組とは、いわゆる犬猿の仲ともいうべき対立関係にあり、被告組合は、全税関労組との共闘を拒否してきた。

ちなみに、昭和四七年五月二〇日東京税関本館講堂において開催された被告組合の第八回定期大会において、運動方針として、次のような被告組合の基本的姿勢が提案採択されている。

(1) われわれは、組合として、政党との特定した関係は一切持たないことを確認する。

(2) 運動の基調として、経済問題を最重点に取り組むが、これらに関連する政治問題についても積極的にとり組む。

(3) 誰でもが、いつでも直接参加できる組合民主主義の確立をはかるため、特定の目的や思想による組合指導を、絶対的に排除する。

(4) 労使関係については、労使協議の重要性を官に認識させる中で、組合軽視の一方的運営を排除する。

(5) 組合の運営を組合員の総意によるものとするため、職場における話し合いを最重視する。

また、右大会において、他組合との共闘問題に関し、運動方針として、次のような共闘に関しての条件(共闘原則)が提案され、決議された。

(1) 組織の競合関係にない組合との共闘には必要に応じて積極的にとり組む。

(2) 競合関係にある組合とは当面共闘しない。但し、組合員の大多数が賛成し、組織混乱が生じることなく、共闘を行うことによつて、より多くの要求が前進する見通しがある場合に、次の点についての保証がなされれば、その時点で検討を加える。

(イ) 相手組合の最高決議機関で組織間共闘について決議がなされていること。

(ロ) 共闘するに際してのモラル(例えば、相手方組合の運動に関して中傷、ひぼうしない事)、及び基本原則(例えば労組の目的を政治活動の手段に利用していないか等)を守つており、将来も守る見通しがある場合。

(ハ) 要求が一致することはもちろん、具体的戦術等について一致する場合。

(ニ) 相互の指導部及び組合員が信頼をいだいており、組織侵略がない場合。

(三) 全税関労組では、前述のように組合員が減少したため、機会あるごとに、機関紙等を通じて新入職員らに全税関労組への加入を呼びかけるとともに被告組合との統一あるいは共闘をはかることをめざして、活発な教宣活動等を行つていた。ちなみに、全税関労組では、昭和四五年五月ころ青年連絡会議において、被告組合員(第二組合員と呼んでいる。)をさまざまな型で組織し、力強い統一をめざすために闘う青年に変えて行くことを方針とすることを討議しており、また、昭和四七年七月の東京支部の拡大支部委員会では、昭和四六年度の活動の総括において、職場での共同闘争への働きかけ、統一の思想を広げるように闘つて行く必要があることを確認し、ヒラの会、タイラ会、チヨンガーの会、何でも話そう会等職場のサークルが広がつたこと、被告組合の青年部に全税関との共闘、交流を推進しようとする者があらわれてきたことを好ましい変化であると評価していた。

(四) これに対し、被告組合の指導部は、職場における麦の会(演劇サークル)、S・P・D(サツカー同好会)、タンポポ(労音サークル)、ふぶき(スキーサークル)、ブイ(労演サークル)、彩友会(油絵サークル)等は全税関労組が中心となつて行つているクラブ活動であり、同労組はこのような集りを通じて被告組合員に対する働きかけを行い被告組合の切り崩しをはかろうとしているものである、と考えて警戒を強めていた。前述の被告組合第八回定期大会における被告組合の基本的姿勢及び共闘原則の提案も主として全税関労組との関係を意識し、全税関からの分裂(脱退と被告組合の結成)を経験していない青年層に対し被告組合の立場、運動目標、理念等について注意を換起しようとしたものであり、被告組合の執行部の大多数の者は、少くとも全税関労組との間に前記共闘原則の条件が満たされることはありえないと考えていた。ところが、昭和四七年七月二八日には青年部所属の組合員である小木、千島の両名が被告組合を脱退し全税関労組に加入するという事件があり、その後も同年の秋から同四八年の春ころまでに青年部所属の組合員十数名が被告組合を脱退し全税関労組に加入するという事態が生じ、被告組合の指導部は、これを全税関労組による組合員の引き抜きであるとして、強く反撥していた。

2  基礎科研修制度とこれをめぐる動き

被告の主張一の2の(一)、(二)の事実、(三)の事実中被告組合第六回青年部大会において基礎科研修生の超過勤務手当、日額旅費の問題が討議の対象となり論議されたこと及び被告組合第八回定期大会において金子組合員の質問に対し松橋委員長が基礎科研修の問題につき答弁したこと、同(四)の各事実は当事者間に争がない。右争のない事実に、成立につき争のない甲第三三号証の一ないし五、同第三四、第三九、第四〇号証、同第四七ないし第六〇号証、同第七七号証、乙第五号証の一ないし三、同第二二、第三三号証、証人松橋和夫の証言により成立を認める乙第四号証の二、弁論の全趣旨により成立を認める甲第三二号証、同第六七ないし第七六号証、同第七八号証、乙第一一号証の一、二、同第三二号証並びに証人麻生周平、同渡辺明、同松橋和夫、同小泉泰則の各証言及び原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果を総合すれば、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 当局は、昭和四〇年四月から同年の初級職男子新規採用者を対象として基礎科研修制度を発足させた。この研修制度は、東京都新宿区市ケ谷本村町四二番地所在の大蔵省税関研修所において、税関研修所基礎科学習規則及び税関研修所基礎科寄宿舎規則に基づき、全寮制をとつて指導官の指導監督のもとに、細かい日課に従つて研修を受けるものであつて、対象者は全員これに参加することを義務づけられている。当初の時期における研修の日程は、朝六時半に起床、点呼、体操等があり、朝食後研修所に出勤し、八時から四時まで講義、四時から五時までクラブ活動等があり、その後寄宿舎に帰り五時から七時までは自由時間(五時から一時間ホームルームを行う場合もあつた。)、七時から二時間は自習時間、九時から一〇時までは自由時間、一〇時消燈就寝というものであつた。昭和四六年ころにおいては、その日程は、六時四五分起床、七時から七時一五分まで点呼、体操、七時一五分から八時一五分まで朝食、居室内外清掃、八時一五分集合、点呼、八時二〇分登校、八時三〇分から一七時三〇分まで授業、一七時三〇分から一九時三〇分まで夕食、入浴、一九時三〇分から二一時三〇分まで自習、二一時三〇分から二二時三〇分まで身辺整理と翌日の授業準備、二二時三〇分消燈、就寝ということになつていた(平日の場合)。しかし、そのころは、研修生に課せられた日課の違反者に対しては、運動場の一周、マラソン、腕立て伏せ、逆立ち、便所掃除や廊下の掃除、日曜・祝祭日の外出禁止、正座、廊下に立たせる等の体罰その他の矯正措置が加えられ、ときには違反者だけでなくその者の属する班全員にも罰則が加えられた。また、当初のころから研修生が私用で外出するときは班担当指導官に届け出で備付の外出簿に所定の事項を記入しなければならず、平日にあつては二時間をこえる外出は認められなかつた。外泊も夏休みの数日を除いては認められず、部外者と面接しようとするときは班担当の指導官から面接場所の指定を受けなければならないこととなつていた。

(二) 昭和四五年までは新入職員の研修修了者はほとんど被告組合に加入しており、全税関労組に加入する者はいなかつたが、昭和四六年度の修了者からはじめて全税関労組に加入する者があらわれるに至つた。

(三) 全税関労組は、昭和四六年一二月八日、関税局長に対し、基礎科研修における点呼、体操、自習は任意のものではなく命令をもつて強制されたもの、すなわち正規の勤務時間(八時三〇分から五時)をこえる勤務の実態を有するものであるから超過勤務手当を、また、基礎科研修受講生は東京税関という在勤官署を離れて公務に就き長期間の研修を受けるのであるから旅費法二六条による日額旅費を、それぞれ支給すべきものであるとの見解のもとに、基礎科研修生に超過勤務手当と日額旅費を支給するよう申し入れた。この申し入れは同月二五日拒否されたが、全税関労組は、昭和四七年一月基礎科研修受講生を対象とする研修生活についてのアンケートを行い、更に、同年三月二三日、人事院に対し、(1)正規の勤務時間をこえた拘束時間に対する超過勤務手当の支給、(2)研修期間中の日額旅費の支給、(3)指導官制度の廃止、(4)寄宿舎生活の自治の保障を要求事項とする行政措置要求を行い、この問題に関し機関紙を通じ活発な教宣活動を展開した。

(四) 全税関労組が人事院に対する行政措置要求を行つた翌日の二四日の東京タイムズは、「税関研修所は“タコ部屋だ”」「まかり通る体罰」等の標題を付して研修の内容と全税関労組の人事院に対する行政措置要求を報じ、サンケイ新聞、東京新聞、神奈川新聞、神戸新聞も同様の趣旨の報道を行つた。

(五) また、同年三月二二日には衆議院予算委員会において社会党の中村重光議員が基礎科研修の問題につき大蔵大臣及び関税局長に質問を行い、更に、同月二四日には参議院大蔵委員会において竹田四郎議員が同様の質問を行つた。四月二六日、参議院大蔵委員会は、研修所の現地調査を行い、六月八日に委員長報告という形で当局に次のような内容の研修制度の改善の勧告を行なつた。

(1) 税関研修所長は、現在、関税局長の併任となつているが、研修の重要性にかんがみ、専任の研修所長を設けることを前向きに検討することが望ましい。

(2) 税関研修所の運営については、研修目的、研修効果、研修生の自主性尊重等を考慮し、各省庁の研修のあり方との関連にも配慮しつつ、その改善につとめること。

(3) 自習室等施設の改善、拡充につとめること。

(4) 研修期間中の研修生の処遇については、公務員研修制度全般の基本的あり方との関連において再検討することが望ましい。

これに対し、船田大蔵政務事官から指摘された事項についてできる限り趣旨を尊重して改善をはかる旨の発言がされた。

(六) 他方、被告組合の上部団体である税関労連は、昭和四七年二月昭和四六年度生を中心として抽出した研修受講者に対しアンケートを行い、この結果に基づいて、同年三月一七日、関税局長に対し、教科、研修の方法、日課、運営、施設に関する改善を要望する要求書を提出した。

(七) 被告組合の青年部は、昭和四七年当時、約四〇〇名で、そのうち基礎科研修修了者は約三〇〇名であつたが、同年四月八日、被告組合の第六回青年部大会が開催された。同大会において、同年度の運動方針案として、基礎科研修に関し次のような提案がされた。

「(二) 基礎科研修について

我々の勤務時間は、午後五時までであつて、研修もその例外ではない。しかし、基礎科研修にあつては、事実上午後五時以降も拘束されている。したがつて、研修生の夜学の通学等、自由な時間使用が出来ない現状である。そこで何よりも青年部では超過勤務手当支給という点より、午後五時以降における自由時間の完全保障を強く要求してゆきます。又、もし当局が午後五時以降に研修生を拘束するような場合は超過勤務手当を支払うよう当局に要求致します。また、最近の基礎科研修にみられる早朝の体操の強制、集団外出、外出先での点呼等研修生の人権を無視した態度は許すことができない。

われわれは、この点については五時以降の自由時間の完全保障とともに基礎科研修のあり方やその教育方法と言つた本質的なものに焦点を合せ運動を進めてゆかねばならない。この問題を研修の民主化としての方向で要求を進めてゆく。」

しかし、大会席上、市原代議員他数名から「基礎科研修生の超過勤務手当、日額旅費支払要求を青年部としても取り組むべきである。」との意見が出され、討議の結果、右方針案中の「そこで何よりも青年部では超過勤務手当支給という点より」の部分が削除され、「支払い要求については研修受講者の意見や法的根拠等についても充分把握されていないので、直ちに取り組む事はできないが、今後の部員の意見により決定したい。」という点で意思統一がはかられ承認された。

(八) 次いで、同年五月二〇日開催の被告組合の第八回定期大会においても、この問題について、オブザーバーとして出席していた金子組合員から「基礎科研修生の超勤問題はどうなるのか。」との執行部の見解をただす発言があり、当時の被告組合執行委員長松橋和夫は「基礎科研修生についてはまだ組合員ではないし、該当者の意見を把握していないが、今後組合の問題として改善に取り組む。時間外の日課として学習の時間を全税関が提唱しているが、しかし、日課について拘束時間をなくす方向を積極的に検討する。現時点においては超勤手当を支払えとの要求を東京では、取り上げないことにしたい。」旨答弁した。

なお、この間、被告組合の上部団体である税関労連発行の同年五月一〇日付の労連ニユースでは、労連が同年二月に行つたアンケートの結果を掲載するとともに、三月一七日行つた関税局長に対する要求による改善のあとを確認するため調査団を派遣したとして税関研修所の現地調査の結果を報告する特別記事を掲載した。

(九) その後、九月ころまでは、東京税関の各職場において青年層の間で基礎科研修生の超過勤務手当等の請求問題について話し合いが行われることはあつたが、被告組合として表だつてこの問題が取り上げられる動きはなかつた。

九月一八日、人事院は、一〇月四日税関研修所の現地調査、五日全税関労組九日当局からの各事情聴取を行う旨発表し、全税関労組は、一〇月に入り再びこの問題につき機関紙を通じ活発な教宣を行つた。

3  学習会と三四万円とる会

被告の主張一の2の(五)の事実、同(六)の事実のうち被告主張の日時場所において学習会が開かれたこと、同(七)の事実のうち被告主張の日時に約七〇名の参加者により学習会が開催されたこと、同(八)の事実のうち「三四万円とる会」が昭和四八年三月六日総会を開催し、その意思統一によりビラまき、人事院への要請団派遣等が行われたことは、当事者間に争がない。右当事者間に争のない事実に、成立につき争のない乙第一五号証の一ないし三、証人麻生周平の証言により成立を認める甲第三五、第三六号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第二五、第二六号証、乙第二三号証並びに証人麻生周平及び原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 昭和四七年一〇月一六日、全税関労組が同年五月に発足させた「基礎科研修民主化委員会」の呼びかけで、裁判所共済組合の施設である「みやこ荘」において、「研修生の超勤費と日額旅費の支払」についての学習会が開催された。右学習会には一七、八名が参加し(当時研修修了者で全税関労組に加入していた者は、数名に過ぎなかつた。)、講師として全税関労組の中田書記長が出席した。この学習会が開かれたという噂は、口伝えに東京税関の各職場に広がつた。

(二) 同年一〇月二五日、原告植松らの呼びかけにより、前記「みやこ荘」において、学習会が開催された。右会場は全税関労組東京支部青年部長の国井克宏の名義で借用されたものであり、右学習会には約四〇名が参加し、そのなかには全税関労組員も四名位含まれていた。そして、講師として、全税関労組の中田書記長が出席し、原告植松の司会のもとで、中田書記長が研修生の超過勤務手当、日額旅費請求の法的根拠等について講義を行い、質疑討論が行われた。この会では、各年度の基礎科研修生のなかから代表を選び実行委員とし、引き続き学習会を進めて行くことを申し合わせた。

(三) 同年一一月一日、基礎科研修生の各年度の代表者の呼びかけにより、南部労政会館において、学習会が開催された。この集会には約七〇名が参加したが、そのなかには全税関の組合員も数名含まれていた。そして右集会で、超過勤務手当等の請求をするための組織を作る必要があるとして、「三四万円とる会」(昭和四六年度生の超過勤務手当、日額旅費を計算すると約三四万円となる。)が発足することとなつた。

(四) 一一月九日には、新橋セメント会館で「三四万円とる会」の集会が開かれ、約七〇名が参加したが、そのなかには七名位の全税関労組の組合員が含まれていた。その集会では、超過勤務手当及び日額旅費の請求を行うことが目標として定められ、会は会員制とし、会の財政は会員の出す一〇〇円の会費によつてまかなうこと、会の運営は各年度の研修生から選出された幹事により自主的に行うこと等が決定された。更に、一二月一一日にも南部労政会館で集会が開催され、約七〇名の参加者により要求の正当性の確認が行われた。

(五) 「三四万円とる会」は、一二月一五日ころ機関紙を発行し、研修受講者に対し、会への参加を呼びかける一方、この問題に対する被告組合の取り組み方について批判を加えた。昭和四八年一月に入り、被告組合が人事院に対し行政措置要求を行うことを決定すると、「三四万円をとる会」は、これを支持し、被告組合に対し、(1)人事院に対し勧告を目標として取り組むこと、(2)行政措置要求の時期は遅くとも二月上旬とすること、(3)金額査定は正確を期し安易な妥協をしないことを要請した。しかし、他方、全税関労組の人事院に対する行政措置要求を支援するための葉書による一斉請願行動への協力をも呼びかけた。

(六) 昭和四八年三月六日、「三四万円とる会」は、品川産業文化センターにおいて総会を開催し、要求行動を開始すべき旨の決議をした。右決議に基づいて同年三月八日、霞が関一帯で「霞ケ関に働く労働者に訴えます」と題する文書を配布し、また職場内でもちらしを配布した。そして、代表が人事院へ要請を行つた。

(七) 三四万円とる会は、多いときには約一三〇名の会員を擁していたが、そのなかには約一〇名の全税関労組員も含まれていた。原告植松は、この会に参加し、この会の中心的なメンバーの一人として活発な活動を行つていた。

4  被告組合の対応

被告の主張一の3の(一)(二)の事実はおおむね当事者間に争がなく、右当事者間に争のない事実に、成立につき争のない甲第一ないし第一一号証、同第二八ないし第三〇号証、同第四一号証、乙第六号証、同第七号証の一ないし八、同第八号証、同第九号証の二、同第一六号証、同三五号証、証人渡辺明の証言により成立を認める甲第四二号証、証人古沢今朝雄の証言により成立を認める乙第九号証の一、弁論の全趣旨により成立を認める乙第九号証の三並びに証人渡辺明、同古沢今朝雄、同稲森増多、同松橋和夫、同小泉泰則の各証言及び原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果の部分は採用することができない。

(一) 前記の学習会が開かれた昭和四七年一〇月二五日には、被告組合では執行委員会が開かれ、その際原告宮本から研修受講者の間で超過勤務手当、日額旅費の要求を取り上げてもらいたいという動きがあるとの報告がされた。そこで、執行部三役から執行部と青年層との対話集会を開いてはどうかとの提案が行われ、その開催、運営については執行委員で青年部部長である原告宮本に一任された。

一〇月二七日に青年部委員会が開かれ、そこにおいて原告宮本は二五日の執行委員会の報告を行い、執行委員会の提案の検討が行われた結果、超過勤務手当、日額旅費の請求は正当であり、対話集会の前に執行部に対しこの要求を取り上げるよう働きかけること、要求の法的根拠となる資料を作成すること、研修受講者の要求を把握するため一一月六日に青年部の討論集会を開くこと等が決定された。

(二) 他方、被告組合は、一〇月二七日付組合ニユース(一一四号)により組合員に対し、基礎科研修生の超過勤務等の問題については職場での話し合いを深めること、研修生の経済的要求については青年部と協力して話し合う機会をもちたいこと及びこの問題は自分たちの組合の問題として組合のなかでみずから解決して行くべきである旨を呼びかけた。

(三) 同年一〇月三〇日、執行部三役と青年部三役との話し合いが行われ、青年部側から基礎科研修生の超過勤務手当、日額旅費の要求を組合で取り上げるようにとの要請が行われた。その際一〇月二五日に開催された学習会に全税関労組の中田書記長が講師として出席しまた全税関労組員もこれに参加していたことが問題となり、執行部三役側よりこれは重大な問題であり原告植松について何らかの処分を考える必要があるのではないかとの発言があつた。

(四) この原告植松の処方問題については、一一月二日の執行委員会であらためて検討され、その際には原告植松を統制処分にすべきであるという意見が大勢をしめた。しかし、原告宮本らから本人の弁明を聞いて結論を出すべきであるとの意見が述べられ、同月六日に植松の弁明を聞くことになつた。同月六日の執行委員会では原告植松の弁明をきいたが、同人は、一〇月初めから羽田の分庁舎を中心に超過勤務手当等の請求をすべきであるとの要求が強かつたので要求の法的根拠を知るため学習会を開いたもので個人的な立場での集りであり、また、全税関労組の中田書記長については被告組合のなかにこの問題に詳しい人がいないので国井青年部長に依頼したところ紹介されたものであり、会場も一生懸命探したがみつからなかつたので国井青年部長に紹介してもらつたものである等と述べた。執行委員会は原告植松の弁明をきいたのち、同人を退席させ、同人を権利停止にすることを臨時大会に提案する旨決定し、同月九日の執行委員会において松橋委員長から原告植松にその旨を告知した。しかし、結局その後臨時大会が開催されなかつたため、同人に対する処分は保留されていた。

(五) また、超過勤務手当、日額旅費の請求の問題については、一一月二日の執行委員会において、被告組合として問題の検討を行うことを決定し、その旨を組合ニユースで組合員に知らせるとともに、労働組合という組織は個人が要求獲得のため集つて作られたものであるから組合員の要求はまず組合にあげて労働組合を通じて獲得をはかるべきであるとの呼びかけを行つた(同旨の呼びかけは、一一月中再三にわたり組合ニユースで行われた。)

(六) 一一月六日には、青年部の討論集会の代わりに拡大青年部委員会が開かれたが、そこにおいて、大田役員から超過勤務手当、日額旅費の要求の法的根拠について資料に基づいて説明が行われ、その後、同月七日から九日にかけて各職場のブロツク集会を行うこと、教宣のニユースを流すこと、青年部全体の運動として盛り上げて行くことが決定された。次いで同月一一日に青年部委員会が開かれ、超過勤務手当、日額旅費の要求は正当であるからこれを取り上げること、この問題の実現のため執行部三役、青年部三役、各年度生代表によつて構成される合同委員会を設けること及び原告植松の処分の撤回を執行部に要求すること、また、青年部独自の行動として超過勤務手当、日額旅費問題についてアンケートを行い調査すること(これは結局被告組合により中止させられた。)、青年層と中高年層との意見交換をはかることについて各分会で意見の集約をするよう各分会あて要望すること等が決定された。その後執行部に対する要望は書面にして一一月一六日の執行委員会において原告宮本から小泉書記長に手渡されたが、取り上げられなかつた。

(七) 一一月一六日の執行委員会では、正午から一一時ころまで日額旅費等の問題について討議が行われた。この段階では、(1)当然請求権がある、(2)請求はできない、(3)わからない、との意見にわかれたが、請求することができないという意見が多数を占めていた。しかし、更に次回までに法的根拠について研究することになつた。

(八) 一一月一八、一九日には、被告組合の青年部役員、ブロツク委員約二二、三名を集めて、目黒荘で、泊り込み学習会が開かれた。この学習会には、オブザーバーとして執行部から松橋委員長、小泉書記長、古沢、田中各執行委員の四名も出席した。この会のテーマは、「組織と個人」「青年部活動の現状」「賃金問題」ということであつたが、「組織と個人」についての話し合いのなかで原告植松の処分問題から基礎科研修生の超過勤務手当、日額旅費の問題についても議論が行われ、青年部の部員は要求は正当である旨を主張したのに対し、古沢執行委員等から要求は他に影響するところがないかどうか、また反対の立場も検討する必要があるのではないか等の発言があつた。

(九) 一一月二一日の執行委員会においては、午後六時から一二時ころまで日額旅費を中心に議論が行われ、基礎科研修について旅費法二条一項六号を適用することができるかという点で、(1)適用ができる、(2)問題がある、(3)わからない、との意見にわかれたが、一応問題があるという意見が多数を占めた。そして、日額旅費等に関する取り組みについては全員一致で取り組むことが決定されたが、取り組みの方法については、(1)人事院に対し行政措置要求をすべきである、(2)旅費法の改正を要求すべきである等の意見が出されたが、結局組合員の意見を求めることが確認され、その前段階として職場討議資料を至急作成して配布することとなつた。

(一〇) 一一月二七日の執行委員会では、更に討議のうえ採決が行われたが、過半数をしめる意見がなく、結論を出すことができなかつたため、職場討議資料を組合員に配布して職場オルグを行い、全組合員に対するアンケートをとつて、その結果に従つて結論を出すことが決定された。

(一一) 一二月四日から一三日にかけて職場オルグが行われ、同時に組合員全員に対しアンケート用紙が配布された。一月に入つて回収されたアンケートの結果によると超過勤務手当等を請求することができるとする意見、法改正に取り組むべきであるとする意見、請求すべきでないとする意見のいずれも多数を制するに至らなかつたが、法改正に取り組むべきであるとの意見も加えると超過勤務手当等の請求に取り組むべきであるとの意見が過半数をこえることになるので、一月一七日開催された執行委員会において、当局に対し超過勤務手当等を要求することが決定された。

そして、そのころの執行委員会において、右要求を具体化するためにはなるべく該当者の意見を取り入れるべきではないかとの見地から、執行部三役、青年部三役、各年度生の代表から構成される合同委員会を設置することが決定された。

(一二) この決定は一月二四日に開かれた青年部委員会に伝えられ、そこで青年部関係の合同委員会のメンバーが決定された。一月二五日に合同委員会が開かれたが、その会議で超過勤務手当日額旅費の計算方法、研修生に対する拘束の事実を明らかにするため基礎科研修該当者の研修時代の資料を集めること、各年度の代表者の合同委員会での役割等についてきめられた。一月三〇日の合同委員会では、合同委員会の意見は最大限尊重するが最終的な決定は執行委員会において行うことがきめられたうえで、税関長及び関税局長あての要求書が検討された。そして、二月一日の執行委員会における承認を経て、二月二日、税関長及び関税局長に対し、要求書が提出された。

二月七日には、青年部として集会等の統一行動を行つた。二月九日の合同委員会では、人事院に対する行政措置要求書の検討が行われ、二月一二日には被告組合による集会、ビラ配布、ステツカー闘争等の統一行動が行われ、二月一七日、被告組合から、人事院に対し、基礎科研修受講者に対する超勤手当、日額旅費の支給に関する行政措置要求が行われた。

その後、被告組合の上部団体である税関労連からも、二月一九日付で関税局長あて基礎科研修に関する要求書が提出され、次いで三月一日人事院に対し被告組合からの行政措置要求と同趣旨の行政措置要求が行われた。そのため、被告組合からの人事院に対する行政措置要求書の受理は留保されるに至つた。

(一三) 前述のように、三四万円とる会は三月八日霞ケ関一帯でビラ配布を行いまた代表による人事院に対する要請を行つたが、同日夜開かれた執行委員会において、右三四万円とる会の行動が問題となり、これは全税関労組との共闘になるのではないかとの意見が執行委員の大勢をしめた。そこで、執行委員会は、「三四万円とる会」に参加し運動している組合員は速やかに被告組合に復帰し被告組合とその運動を共にするよう右「三四万円とる会」に加入している組合員に対し会からの脱退を勧告すること、各執行委員は会所属の被告組合員に対し積極的にこれが脱退勧告をすることを決議した。そして、被告組合は、三月一六日付、一九日付、二〇日付の組合ニユースを通じて、「三四万円とる会を斬る」との表題のもとに同会の組織、活動経過全税関労組との関係等を説明し執行委員会が同会からの脱会を勧告するに至つた理由を組合員に知らせた(これに対し、全税関労組では、支部ニユースに、被告組合の組合ニユースの記事は三四万円とる会と全税関労組に対するいわれない中傷であるとし、同会を支援する趣旨の記事を掲載した。)。

しかし、原告宮本は、三四万円とる会から脱会しようとせず、また他の会員に対する脱会の勧告もしなかつた。更に、後述の昭和四八年四月七日開催の青年部大会において、金子代議員より「執行委員会が三四万円とる会からの脱会勧告を決定した際に青年部長(原告宮本)も参加していると思うが、その決定を青年部長はどう受けとめて青年部におろしているか」との趣旨の質問がされたのに対し、原告宮本は、「執行委員会で青年部長はやめることはもちろんみずから脱会工作を率先してやるべきだといわれた。自分も取る会の一会員であるが、取る会の脱会工作についての労働組合としての執行委員会決定は労働組合が決定する以上のものを決定している。したがつて、そういつた内容では青年部長としての立場では従う必要もなければ従う気もない。私自身が脱会工作を進める気もないし、私も脱会するつもりはないと言つた。」と答えた。

5  昭和四八年四月七日開催の青年部大会

成立につき争のない甲第一〇号証、同第一三、第一四号証、同第三九、第四六、第六二号証、乙第一八号証の一、二、同第三四、第三五号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第六三、第六四号証、第六五号証の一、二並びに証人稲森増多、同小泉泰則、同松橋和夫の各証言及び原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一) 昭和四八年四月七日には青年部大会が開催される予定となつていたが、三月八日の執行委員会において、原告宮本は、右青年部大会に青年部の方針案として全税関青年部との交流という議題を提案したい旨口頭で申し出た。これに対し、小泉書記長は、文書で提出するよう指示した。

三月一五日の執行委員会に原告宮本が青年部大会に付議すべき運動方針案を文書で提出したところ、執行委員会は、次の事項は被告組合の第八回定期大会で決定された共闘原則に抵触するとして削除するよう原告宮本に指示した。

「全税関青年部との関係

基本的認識は

〈1〉 同じ職場に二つの労働組合が存在している事は要求を前進させる上で好ましくない

〈2〉 二つの存在が当局の業務政策推進の上で好都合のものとなつている

〈3〉 当局の分断工作が職場のすみずみまでゆきわたつている。

〈4〉 共闘統一への基本は要求である

〈5〉 東京労組としては共闘統一への方向には向つていない。

以上から青年部として

〈1〉 共闘統一問題は、労組全体のものとして考える

〈2〉 全税関との諸問題について職場討議を積極的に提起する

〈3〉 全税関青年部との話し合いを持つ(共同行動を前提としてのものではない)」

(二) ところが、同月一五日から一七日にかけて青年部の職場オルグを行つた結果、青年部所属の組合員から運動方針において全税関青年部との関係に触れないのはおかしいのではないかとの意見が出された。そこで、青年部委員会で検討した結果、再度執行委員会に全税関青年部との関係を盛り込んだ運動方針案を提出して承認を得ることが決定された。右決定に基づいて、原告宮本は、三月二七日の執行委員会に再度次のような運動方針案を提出し、検討を求めた。

「全税関青年部との関係について

現在職場には二つの組合、我労組と全税関が存在しています。我々は要求獲得として労組に結集し労働組合活動の活発化のため、そしてその行動の中核をめざし努力を行つています。

しかし、そもそも職場に労働組合が二つ存在するということから、ある時は人間関係の上で、又ある時は直接間接的に労働組合活動の上でマイナス面をもたらす事があります。特に当局はこれらに干渉し、職場の人間関係を破壊する原因を作り出しています。

我々は、素直な気持でいまのような状態をいつまでも続けておく事はできません。

我々は近い将来次のような職場になる事を望みます。

一、所属労働組合の別にかかわらず、誰もが誰とでも自由に話し合える職場である事。

二、当局は民主的職場作りをめざし、職場で働く人達の意見、気持要求を尊重し、守る事。

三、労働組合が統一されるべき事。

我々は一日も早くそのような職場を作るべく、単に青年部内のみならず、当労組全体として何ができるのか、どうしたらよいのか、などの討論を活発に行つて行きたい。」

執行委員会は、再度検討したうえでその提案を否決し、全税関青年部との交流に関する件は一切青年部大会に提案してはならないこととなつた。

(三) 四月七日開催された青年部大会において、青年部書記長住谷恒夫は青年部執行部を代表して運動方針の説明を行つたが、そのなかに次のような発言があつた。

「労連傘下の青年部との交流は、当然推進しなければならないと思つている。それと同時に、全官公傘下の交流ですね。もう一つ全税関との交流ということです。このことについては、先程言いましたけれども、この運動方針案の中にはとり入れることができませんでしたので、この場でもつて、みなさんの討議をはかつてもらいたいと思います。」

住谷青年部書記長の運動方針案の説明が終了した直後、太田代議員から、運動方針案の対外組織との関係の部分について次のような項を加えてはどうかとの修正動議が提出された。

「2 全税関労組との関係について

イ  基本的認識

○ 同じ職場に二つの労働組合が存在していることは切実な要求を解決するのに好ましくない。

○ 二つの組合の存在が当局の労務政策の面で好都合な材料となつている。

○ 共闘の基本は要求である。

ロ  基本的態度

○ 共闘問題を含む全税関労組との問題は労組全体のものとして考えて行く。

○ その為、全税関労組との諸問題については、職場討議を積極的に進めていく。

○ 全税関青年部の組織的に二つの組合の一致点や相違点等について話し合う努力をする。」

これに対し、青年部副部長の原告植松が青年部執行部を代表して答弁をしたが、その一部に次のような発言があつた。

「四七年度の執行部の運動方針をみると、競合関係にない労働組合とは、必要に応じて積極的に取り組む。全税関の場合は、そうでなくて競合関係にある組合であるという認識をもつています。しかし、ここで言つていることは、労働組合と労働組合との共同行為について、つまり共闘についての方針を打ち出しているわけです。そこにいろいろ書いてあるわけですが、太田代議員の発言した内容は、基本的な認識としては、同じ職場に二つの労働組合があることは、要求を前進させる上で好ましくない。しかし、全税関との話し合いを持ちたいという太田代議員の意見は、共闘を前提としたものではないわけです。全税関との東京労組との違いをもつと話し合つて明確にしてゆこうではないか。あるいは、職場のいろいろな人間的な関係において両方の組合がいがみ合つていたのでは、職場の状態が好ましい状態ではないのだ。そういう認識のもとに全税関労組との話し合いを持つ、しかし、それは共闘を前提とした話し合いではないという見解であるが、こういう段階では、執行部の決定なり、あるいは大会決定に抵触していないと思います。青年部の委員会としては、そういう問題をこの場で積極的に討議してもらいたいと考えているわけです。それでもう少し皆さんの中で意見を出しあつて、この問題をこの大会の中で作つていつてもらいたいと思います。」

原告宮本は、右住谷及び植松の発言を制止するような行動をとろうとしなかつた。

なお、右動議は採決の結果可決され運動方針案は修正されることとなつたが、オブザーバーの組合員から「今可決された動議内容が、これから行われる被告組合の大会で否決された場合青年部はどう扱うのか」との質問があつたのに対し、原告宮本は「五月の組合大会で確認された時点で事実上できるだろう。だから今の時点ではつきりしたことは言えないが、ここで決定された事項は青年部大会の決定事項として、執行委員会にかけ、また当労組の各機関や組合大会の代議員に対して今の青年の気持を理解してもらうよう積極的に働きかける。」と答えた。

6 全税関労組東京支部青年部長からの要請書に対する回答

成立に争のない乙第二〇、二一号証、同三七号証、原告宮本佑二本人尋問の結果により成立を認める甲第六六号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第二五号証、証人渡辺明、同古沢今朝雄、同稲森増多、同小泉泰則、同松橋和夫の各証言によれば、次の事実を認めることができ、甲第八〇、八一号証は必ずしもこの認定を左右するものではなく、またこの認定に反する原告宮本佑二、同植松隆行の各本人尋問の結果は採用することができないし、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 被告組合は、規約上(第一七条)、執行委員会の活動を具体的かつ積極的に行うため専門部を置いているが、その一つとして青年婦人部があり、これを通称青年部と呼んでいる。被告組合では青年層の自主的な活動を尊重する意味で、事実上、青年部(通称)に規約、大会、委員会を設けて運営にあたらせているが、あくまでも組織上は規約にいう専門部としての青年婦人部であるので、最終的には被告組合の執行委員会又は、大会の決定に従うべきものとされている。

(二) 前述の超過勤務手当等の要求について被告組合が検討を行つていた時期である昭和四七年一一月九日に、全税関労組東京支部青年部部長国井克宏から、同月七日付の「基礎科研修の民主化に関する要請書」と題する書面が、被告組合青年部部長宮本佑二あてに、届けられた。右書面の内容は、基礎科研修生への日額旅費超勤手当の支給、基礎科研修の民主化要求について、(1)被告組合青年部も積極的に闘うこと、(2)全税関労組青年部が一一月一〇日に統一行動として行うステツカー闘争に協力、援助をすること、(3)この問題の解決まで両青年部で協力、共闘のための話し合いを持ちたい、との要請を行うものであつた。

一一月一一日被告組合の青年部委員会では、この要請書について検討した結果、この要請に応ずることは組織間の共闘になり被告組合の大会決定に抵触するから、右要請には応じられないという結論に達し、その回答については原告宮本に一任した。原告宮本は、被告組合の執行委員会にはかることなく、一一月三〇日付で、(1)基礎科研修受講者からの超勤手当、日額旅費支給の要求の件は被告組合青年部の活動の重要な柱の一つをなしている、(2)ステツカー闘争に対する援助、協力は両組織の共同闘争の一形態となるから受け入れる権限がない、(3)両青年部の協力、共闘に関する話し合いについても被告組合青年部の方針に基づき受け入れる権能を有しない、との趣旨の回答書を全税関労組東京支部青年部部長国井克宏あて送つた。

その後この回答の件については、青年部の幾野博を通じてその回答文案が被告組合の松橋執行委員長に提出されたので、一二月二一日に開催された執行委員会でその回答に関し審議を行おうとしたところ、すでに原告宮本から全税関労組東京支部青年部長に回答がされていることが席上明らかとなり、各執行委員から、回答に際し正規の手続をふまなかつたことは重大な問題であると原告宮本の責任を追及する声があがつた。

7 原告らの除名

被告の主張三の事実の経過は当事者間に争いがなく、右争のない事実に、成立につき争のない甲第一五ないし二四号証、同第三一号証、乙第一〇号証、同第一八号証の一、二、同第一九号証、同第三八号証の一ないし三、証人小泉泰則の証言により成立を認める乙第一七号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第八二号証並びに証人稲森増多、同小泉泰則の各証言及び原告宮本佑二、同植松隆行各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 四月一八日の執行委員会において、まず、原告宮本の処分が問題となり討論採決の結果被告の主張三の1の(一)のような結果(みずから脱退すべきであり、従わないときは除名、多数)となつた。次いで、原告植松についてはさきに執行委員会で権利停止相当として臨時大会に提案することとしていたが、その後の同人の状況にかんがみまた原告宮本に対する処分との均衡を考慮して除名が相当ではないかとの意見が出され、討論採決の結果被告の主張三の1の(二)のような結果(脱退勧告し従わないときは除名、多数)となつた。

(二) 同月二三日付の被告組合ニユースにおいて、原告両名に対する脱退勧告と被告組合大会への両名の除名提案が報道された。

同月二五日、公開で青年部委員会が開催され、そこにおいて原告ら両名に対する処分に反対することが決定され、青年部では、青年部ニユース(四月二八日付、五月二日付、同月七日付)で処分反対の教宣を行う記事を掲載するとともに職場においても処分の反対運動を進めた。

これに対し、執行部側は、処分問題説明資料を作成して組合員に配布し処分理由の説明にあたる一方、原告宮本及び同植松に処分理由に対する反論を書かせこれを組合ニユースにそのまま掲載し、これを配布した。

(三) 五月二九日の大会当日には、原告両名の弁明をきいたうえで約六時間にわたる討議ののち、採決した結果、被告主張三の2のような結果となり原告両名の除名が決定されるに至つた。

8 その後の事情

成立に争のない甲第二三、第二四号証、乙第三〇号証、同第三九、第四〇号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第二七号証及び証人稲森増多の証言によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 原告らの除名が決定された被告組合大会の直後の青年部ニユースは、事実誤認と客観的事実が不明のまま原告らの除名処分が強行された旨の報道を行つた。

九月二七日には、原告らは被告組合に対し権利回復の要求書を提出したが、被告組合はこれを取り上げなかつた。

その後、原告植松は、神戸税関において争議行為等を行つたことを理由として懲戒免職処分となつた全税関労組の神戸支部の組合三役の右処分の無効確認等請求訴訟の最高裁判決(昭和五二年一二月二〇日言渡)が行われる前ころ、三田氏(注・神田、中田、田代を指す。)の一日も早い職場復帰を支援する呼びかけを行うビラを出しており、また、原告らは、昭和五三年一一月三〇日付のビラ(原告らの発行する「たぐぼうと」)のなかで、全税関労組との共闘は要求の実現から必要であることを説いている。

(二) なお、全税関労組が昭和四七年三月二三日付で提出した「研修生の処遇改善に関する行政措置の要求」について、人事院は、昭和五一年二月三日、(1)本件研修における点呼、体操及び自習は研修生の勤務とみることはできないから超過勤務手当支払の要求は認めることができない、(2)本件研修は出張により研修を受けていたが旅行に伴う実費が必要であつたとはいえないから研修等日額旅費支給の要求は認めることができない、(3)寄宿舎規則の改正等の要求については日課の運用単独外出の制限などにおいて当局は一部適切な措置を講ずべきものがある、との判定を下した。また、税関労連からの行政措置要求についても、そのころ同じような判定を下した。

二  制裁事由の有無と除名の選択の正当性

1  成立に争のない乙第二〇号証によれば、被告組合の規約において、「組合員は」、「正当な理由なくして除名その他の制裁をうけないこと」「を保障される。」(二六条二項三号)が、「組合員であつて、この組合の規定に違反しまたは組合の統制を乱し、若しくは組合の名誉を汚したものは、大会の決議により、権利の停止又は除名することができる。」(二八条一項)こととされていることが認められる。

2  ところで、労働組合(職員団体を含む。以下同じ。)は、労働者がその団結力を背景として使用者と対等の立場に立つて賃金その他の労働条件の維持向上をはかるために交渉を行うことをその本来的な目的として、結成されるものである。したがつて、労働組合にとつて、団結はその存立に不可欠なものであつて、常に強固な団結を維持することが要請されるのである。そして、そのためには、組合員が組合の規約、慣行、機関決定等により確立された内部規律ないし秩序に従い統一的な行動をとることが、なによりも必要とされるのである。

労働組合の統制権は、かような労働組合にとつて不可欠な団結の維持確保すなわち労働組合の内部規律ないし秩序の維持のために認められるものであり、したがつて、例えば原告の主張するような争議時において使用者と通謀して組合の団結を破壊するような行為あるいは使用者の意向を代弁して組合の意思形成を妨害するような行為など直接対使用者との関係で組合の団結力を破壊する行為ばかりでなく、同一企業内に対立する複数の組合がある場合に他組合又は他組合員として通謀して組合員の脱退等組合の組織の混乱をはかる行為その他組合の内部規律ないし秩序を乱す一切の行為が、組合の団結力を弱め結局対使用者との関係において組合の闘争力を弱体化させることになるものとして当然、統制処分の対象となるものと解すべきである。前記認定の被告組合の制裁規定も、当然このような見地に立つて規定されているものと解される。

もつとも、権利の停止及び除名は組合員の地位に重大な影響を及ぼす処分であるから、規約二八条に基づきこれらの処分を行うにあたつては、それに相応する組合の内部規律ないし秩序を乱す行為がなければならないことは当然であり、また、組合員に規約二八条所定の制裁事由が認められる場合に権利の停止を選択するか除名を選択するかについては、一応、被告組合の選択にまかされているものと解されるが、除名は権利の停止に比較してより重い処分なのであるから、除各処分を選択するには、その行為の態様において、重大な規約違反、重大な統制違反若しくは著しく組合の名誉を汚す場合又はその情状において特に重い場合であつて、しかも組合の団結を維持するためやむをえないときでなければならないものと解すべきである。

3  ところで、労働組合は一種の自治を認められた団体であつて、組合が行う除名等の統制権の行使は、本来、右のような団体である組合の内部規律に関する事柄であり、組合が自主的に決定すべき問題なのであるから、組合が統制権を行使するだけの理由があつたかどうかすなわち制裁事由の有無及び処分の選択の正当性について裁判所が判断するにあたつては、原則として組合の判断を尊重すべきものであると解するのが相当である。もつとも、労働組合の自治にもおのずから一定の限度があるのであり、制裁事由があり当該処分の選択が相当であるとした組合の判断が社会通念に照らし著しく合理性・妥当性を欠く場合には、裁判所が右判断に基づく組合の統制処分を権利の濫用として無効であると判断することができることは、いうまでもないところである。

4  以上の見地に立つて、まず、原告植松について、制裁事由があつたかどうか、除名の選択が相当であつたかどうか、を検討する(以下引用する事実は、特にことわらない限り前記一で認定した事実である。)。

(一) 基礎科研修生の超過勤務手当及び日額旅費について法律上その請求権が認められるかどうかは問題のあるところであるが(ここでは、必要がないので、その判断には立ち入らない。)、その請求は、基本的には、基礎科研修受講者個人の権利の問題である。したがつて、研修受講者個人の立場だけからいえば、研修受講者が、個人又は集団で、その請求をし、その請求をするためにその法的根拠を研究し又は他の研修受講者に対しその請求若しくは研究の会合へ参加することを勧誘する等は自由であり、これらの活動を行うことについて何ぴとからも妨げられるいわれはない。しかし、研修受講者が労働組合に加入し組合員たる地位を保有している場合には、直ちにこのようにいうことはできない。すなわち、本来労働組合を結成する目的は、基本的には組合員個人の権利義務に関する問題であつても、それが多数(必ずしも過半数以上という意味ではなく多人数という意味である。)の組合員に関係する場合には、組合員の団結の力を背景として、多数の組合員のため使用者と対等の立場で交渉しその要求を実現させるところにあるのであるから、組合員である以上は、組合の存在を無視し個人的な権利利益の追求のみを目的として行動すべきものではなく、まず問題を組合内部で提起し、組合を通じその要求を実現するように努力すべき場合がありうるのである。また、前述のように、組合員は、組合の団結を維持するため、組合の内部規律ないし秩序に従うべきものであり、いやしくも個人的な権利利益の追求のためこれを乱すことのないように行動する義務があるのである。このような観点からみれば、本来組合員個人の権利に属する問題であつても、それが本来的に組合の取り上げることができる事項でありかつ組合が取り上げることが相当なものである場合には、組合員は、必ずしも独自の立場で自由にその権利を行使することができるものではなく、原則として、まず組合の内部規律ないし秩序に従い組合の組織上の手続に基づいて組合を通じ組合の要求として権利の行使を行う努力をしなければならない拘束を受けるものであり、その行使の方法が組合の組織、規律、秩序を乱すことになるときは、組合は、これに対し統制を加えることが許されるものと解すべきである。このように解しても、組合員である権利者は組合を脱退してその権利を自由に行使することまで妨げられるわけではないのであるから(むしろ、専ら個人的な権利利益を追求することを欲するのであれば、組合を脱退してこれを行うべきである。)、何ら不都合は生じないというべきである。

(二) 研修受講者の超過勤務手当、日額旅費の問題は、広い意味では賃金の問題であり、研修受講者の大多数を組合員として擁する被告組合としては、多数の組合員に関係のある問題として組合が取りあげることができまた取り上げることが相当な問題である(なお、基礎科研修の民主化すなわち基礎科研修生の日課・運営の改善等の問題は現に研修を受けあるいは将来受けるべき者の問題であるから、すでに研修を修了した者の個人的な権利にかかわる問題ではなく、むしろ将来組合に加入すべき者の勤務条件の問題として専ら組合が取り組むべき問題であると考えられる。)。更に、いわゆる学習会は、一般に組合が組合員の問題意識を高めるために組合活動として行われることの多い活動であり、一種の団体的な活動である。

このような見地に立つてみると、昭和四七年一〇月二五日行われた学習会は、基礎科研修受講者によつて被告組合の組織外で行われた集会であるが、本来組合が取り上げることができまた取り上げることが相当な問題である研修受講者の超過勤務手当、日額旅費の請求についての検討をその目的とするものであり、また組合活動と同種の団体的行動であつて、もともとこのような活動は、被告組合員としては、まず被告組合の内部においてその組織上の手続をふんで組合の要求活動として行うべきものである(元来、基礎科研修受講者の超過勤務手当等の請求問題は、多数の被告組合員に関係する問題ではあるが、主として青年層の組合員の問題であり、その請求については青年層以外の組合員の理解とそれらとの利害関係の調整を必要とすると考えられる問題であるから、このような問題につき組合員の一部の者のみで組合外の要求活動を推進することを認めることは、他の組合員の反撥を招くおそれがあるばかりでなく、組合員の一部に関係のある他の問題についても同種の行動を誘発することとなり、ひいては被告組合の存在意義を失わせその組織の崩壊を招来することになりかねないのであるから、なおさら被告組合の内部においてその組織上の手続をふんで組合の要求として行うべき要請が強いものと考えられる。)。

しかるに、被告組合内で要求活動を進める努力をすることなく、被告組合を無視し被告組合の組織外で、被告組合員に働きかけを行つて組合活動と同種の会合である右学習会を開いたことは、一種の分派活動というべきものであり、被告組合の組織秩序を著しく乱す行為であるといわなければならない。

もつとも、昭和四七年五月に開催された被告組合の第八回定期大会において被告組合の松橋委員長は当面超過勤務手当等の請求は行わないと答弁する等、被告組合執行部としては、当時、この問題について消極的な姿勢を示していたことがうかがわれるのであるが(証人松橋和夫の証言によれば、執行部が基礎科研修生の超過勤務手当等の請求に慎重な態度をとつていたのは、それが高等科研修生の超過勤務手当の削減等他のすでに獲得されていた組合員の利益に影響するところが大きいのではないかと危惧していたためであると認められ、それはそれで必ずしも理由のないことではなかつたと考えられる。)、同年一一月以降の被告組合内における青年部の活動と執行部のこれに対する対応を考えれば、被告組合の内部における活動を進めることによつてもこれを組合全体の要求にまで高めることは十分可能であつたものと考えられる。

(三) 更に、右学習会を開催するについては、全税関労組東京支部青年部部長国井克宏の紹介により同人名義で会場を借りうけ、また同人のほか少数ではあるが全税関労組員の参加を認めたばかりでなく、講師として全税関労組の指導部の一人である中田書記長を招いてその講義を受け、これら全税関労組員と行動を共にしたものであり、このことは、重大な問題を含むものと考えられる。

すなわち、被告組合と全税関労組とは、職場(東京税関)における組合の組織としては競合関係にあり、被告組合結成の経緯等からいわゆる犬猿の仲とも称すべき状態にあつたばかりでなく、昭和四七年七月ころ被告組合を脱退して全税関労組に加入する者があらわれ、前記学習会開催当時両組合の間にはかなりの緊張関係(被告組合側において全税関労組に対し強い警戒心が抱かれていた)があつたものと認められるし、また、被告組合の第八回定期大会においては共闘原則が決議され、原則として全税関労組と共闘しないこととなつていたのである(この共闘原則は直接には組合と組合との関係を定めているものではあるが、組合は組合員により構成されているものなのであるから、被告組合が他の組合と共同闘争をしないことを定めたということは被告組合員が他組合の組合員と組合活動を共にしないということを定めたことにほかならないものと解される。)。このような状況のもとにあつて、前記のような学習会を開催して被告組合員が全税関労組員と組合活動と同種の団体的行動を共にすることは、被告組合の大会で決定された共闘原則の趣旨に反し、被告組合員としての基本的な倫理に欠ける行為であつて、被告組合の組織に動揺を与えかねない重大な内部規律ないし秩序違反行為であるといわなければならない。

もつとも、一〇月二五日の学習会が被告の主張するように全税関労組の指導ないし影響のもとに開催されたと認めうるだけの確証はないのであるが、全税関労組の民主化委員会が主催した一〇月一六日の学習会には被告組合の組合員も参加していたと推認されること、全税関労組の機関紙が一〇月二五日の学習会の開催されたことを再びという語を使用して報じていたこと、一〇月二五日の学習会に少数ではあるが全税関労組員が参加していたこと(もともと研修受講者である全税関労組員は極めて少数であつたのであるから学習会の参加者も少数者にとどまらざるをえなかつたものと考えられるが、少数者であるから影響力が少ないとは必ずしもいえないところである。)及び全税関労組の指導部の一人である中田書記長の講義を受けていること等の事実を考えあわせると、右学習会が客観的にみて、全税関労組幹部の指導をうけ、同労組の影響のもとにあり、あるいはこれとなんらかのつながりがあるのではないかとの強い疑いを多数の被告組合員に抱かせるような集会であつたことは、否定することができないところである(このことは、のちの被告組合の執行委員会が原告植松の除名を組合大会に提案した際、執行部が処分問題説明資料等でこの関係を強力に教宣した事実があつたにせよ、原告ら及び青年部の活発な反論活動にもかかわらず多数の被告組合員がこの関係を疑つて除名に賛成したとみられることによつても裏づけられる。)。したがつて、被告組合員としてこのような会合を開催すべきものでなかつたことは、明らかである。

(四) このようにみてくると、一〇月二五日の学習会に単に誘われてその実体を知らずに参加した者は別として、その開催に主動的な役割をはたした原告植松の行為は、被告組合の内部規律ないし秩序を著しく乱したものであり、被告組合の規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」にあたるものというべきである。

(五) もつとも、原告植松本人尋問の結果によれば、一〇月二五日の学習会の開催に際し、全税関労組東京支部青年部の国井部長の紹介により同人名義で会場を借りたのは原告植松らが会場を探したが準備期間が短かく適当な会場を借りることができなかつたためやむをえず国井に依頼したものであり、また全税関労組の中田書記長に講師を依頼したのは原告植松らがそれまでの被告組合の指導部の言動から被告組合内に適当な講師がいないと考えたためであると認められ、右学習会の開催について原告植松が全税関労組幹部と積極的に意を通じ被告組合の組織の攪乱を図ろうとしたものであるとまでは認められないところであるが(むしろ、当時の原告植松の主観的な意図としては、基礎科研修受講者の権利の実現をはかりたいとの単純な意図のみに出たものと認めるのが相当である。)、前述のように、右学習会の開催は、一種の分派活動とみるべきものであつたばかりでなく、客観的には、多数の被告組合員に全税関労組幹部の指導をうけ同労組となんらかのつながりがあるのではないかとの強い疑いを抱かせる行為であつたのであり、被告組合の青年部副部長という要職にある組合員としてふさわしくない客観的洞察を欠いた極めて軽率な行動であり、当時の情勢のもとでは被告組合の組織の動揺を招きかねないと考えられるものであつて、被告組合がこれに対し除名をもつて臨んでも必ずしも不当とはいえない重大な統制違反行為であると考えられるものである。したがつて、昭和四七年一一月初旬当時右行動に対し被告組合執行委員会が臨時大会に原告植松に対する権利の停止を提案することを決定したのは、決して不当ではなかつたものというべきである。

しかるに、原告植松は、一〇月二五日の学習会の開催につき被告組合執行委員会から右のようなかたちで厳重な戒めを受けたにもかかわらず、その後右学習会が発展したものとみられる三四万円とる会(同会は、右学習会と同様に、後述のように一種の被告組合の分派活動を行い、しかも被告組合の共闘原則の趣旨にも反する活動を行うものである。)に積極的に参加しその中心的なメンバーの一人として活動を続け、このような活動をすることについて全く反省の態度を示さなかつたものである。したがつて、被告組合が原告植松の行為をその後の同人の態度をも考えあわせてそのまま放置すれば被告組合の組織に動揺をきたしその崩壊にもつながりかねないと判断したのは、むしろ当然というべきであり、被告組合がその団結を維持するため原告植松に対し除名をもつて臨んだことは、やむをえない措置というべきであつて、これを権利濫用ということはできない。

もつとも、のちには被告組合も一〇月二五日の学習会ないしその後の三四万円とる会の目的とした超過勤務手当の要求を組合として取り上げることとなり、結果的には原告植松らの行動が被告組合の右要求活動を促進する一因となつたことは否定することができないところであるが、目的ないし結果さえよければどのような活動でも許されるというものではなく、組合員である以上は組合の定める内部規律ないし秩序のもとに活動を行うべきことは当然のことであつて、たとえ目的ないし結果において合致するところがあつたとしても、そのことによつて前記のような組合の内部規律ないし秩序を乱したことの責任を直ちに免れることができるわけのものではない。

5  そこで次に、原告宮本について、制裁事由があつたかどうか、除名の選択が相当であつたかどうか、を検討する。

(一) 三四万円とる会の脱会問題について

(1) 前記認定の事実によれば、三四万円とる会は、被告組合の組織外で基礎科研修受講者の超過勤務手当と日額旅費を獲得することを目的として、研修受講者である被告組合員及び全税関労組員(ただし全税関労組員は少数)によつて作られた組織であると認められる。前述のように、基礎科研修受講者の超過勤務手当等の請求は、基本的には受講者個人の権利の問題であるが、被告組合としてもこれを取り上げることができまた取り上げることが相当な問題であり、更に組合員たる研修受講者としては原則として組合を通じ組合の要求として解決をはかるべき事項である。また、三四万円とる会が行つた活動は、組合活動と同種の活動とみるべきものである。したがつて、これらの活動は、被告組合の組合員としては、まず被告組合の組織内にあつて組合の活動として行うべきものであり、被告組合の組合員が組合の組織外で組合を無視してこのような活動を行うことは、一種の分派活動というべきものであつて、被告組合の組織秩序を乱す行動であるといわなければならない。

(2) しかも、三四万円とる会には全税関労組員が参加しており、被告組合員である会員は、これと活動を共にしていたものと認められるのであるが、このことは、全税関労組員とは共に組合活動を行わないという被告組合の第八回定期大会で決議された共闘原則の趣旨に反する行動というべきものであり、被告組合の内部規律ないし秩序を乱す行為であるといわなければならない。

(3) したがつて、被告組合の執行委員会が三四万円とる会に参加している組合員に対し同会からの脱退を勧告しまた執行委員は同会所属の組合員に対し積極的に脱会を勧告することを決議したのは正当であり、原告宮本としては、被告組合の組合員及び執行委員として、これに従うべき義務があつたものといわなければならない。

(4) しかるに、原告宮本は、三四万円とる会から脱会せずまた他の会所属の被告組合員に対し積極的にこれが脱退の勧告もしなかつたというのであり、また、昭和四八年四月七日開催の青年部大会においても執行委員会の決定に従う気はなく、三四万円とる会から脱退するつもりもまた他の会所属の組合員に対する脱会工作を進めるつもりもない旨を述べている(大会における発言は直接には執行委員会での発言を述べたものではあるが、大会当時においてもその気持に変りがない趣旨で述べているものと解される。)のであつて、これらの原告宮本の行動は、被告組合の内部規律ないし秩序を乱すものであり、規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」にあたるというべきである。

(二) 青年部大会における発言について

(1) 昭和四八年三月二七日開催の被告組合執行委員会における決定により同年四月七日開催予定の青年部大会に全税関青年部との交流に関する件は一切提案してはならないこととなつたことは前記認定のとおりである。この執行委員会の決定は、被告組合と全税関労組との関係が前記認定のとおりであり特に被告組合青年部に属する組合員で被告組合を脱退して全税関労組に加入する者があらわれているという状況の下では、決して不当なものであるとはいえないと考えられる。

(2) また、同月七日に開催された青年部大会において青年部書記長住谷恒夫が青年部執行部(委員会)を代表して運動方針案を説明した際に全税関との交流について討議を呼びかける発言を行つたこと及び副部長の原告植松が大田代議員の修正動議に対し執行部を代表して答弁した際に全税関労組との話し合いを持つ問題について積極的に討議することを呼びかける発言を行つたことは、前記認定のとおりである。右の住谷及び植松の発言は、単に同人らの単なる個人的な見解を述べたものではなく、青年部執行部を代表してその見解を述べたものであると認められるものである。

(3) ところで、本来執行部は一体となつて行動すべきものであるから、青年部執行部としては、青年部大会に臨むにあたつて、青年部の運動方針案の説明、それについての質問等に対する答弁等青年部執行部としてとるべき態度について青年部委員会においてあらかじめ当然協議を行うべきものであり、また協議を行つていたものと考えられる。ところで、右青年部大会への運動方針案提案の経過にかんがみれば、もともと運動方針案作成の段階では青年部執行部としては全税関労組の青年部との交流ないし交流についての話し合いを運動方針案に盛りこむことを希望していたものと認められるのであり、部長、副部長、書記長ほか各委員とも同様の見解で一致していたものと考えられる。このような事態のもとにおいては、青年部の執行部の最高責任者でありまた執行委員である原告宮本としては、被告組合執行委員会が前記(1)のような決定を下した以上、青年部大会に臨む青年部執行部の構成員に対し右決定を忠実に伝え、大会に臨む青年部執行部の意思を統一し、大会においてその決定に反する行動をとらせないようにすべき義務があつたものといわなければならない。

しかるに、原告宮本は、そのような措置をとることなく、青年部大会において住谷及び原告植松に青年部執行部を代表して前記のような被告組合執行委員会の決定に反するような発言をするに至らせたものと認められるのであつて、原告宮本が前記のような義務を負つているにもかかわらず右のような発言をするに至らせたことについては、みずから執行委員会の決定に違反する発言をした場合と同様その責任を負うべきものと解するのが相当であり、右原告宮本の行動は、被告組合の内部規律に違反したものとして、規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」にあたるというべきである(もつとも、原告植松の発言は太田代議員の動議に触発されて行われたものであると認められるのであるが、元来このような動議が提出されることのありうることは青年部大会への運動方針案の提案経過から当然予想されるところであり、青年部執行部としては、代議員からの質問動議等を制限したりまたこれに基づく討論を制限することはすべきではないにしても、前記のような被告組合執行委員会の決定がある以上、これを代議員に伝えてその理解を求めるべきであつて、執行部側から全税関労組青年部との交流ないし交流等についての話し合いの問題の討議を積極的に進めるよう呼びかけるような発言をすべきでないことは明らかであつて、このような発言をさせるに至つたことについて、前記のような義務を負う原告宮本としては、その責任を免れることはできないものというべきである。)。

(三) 全税関労組東京支部青年部長への回答について

(1) 原告宮本が被告組合執行委員会の承認を得ることなく全税関労組東京支部青年部長からの要請書に対する回答を行つたことは、前記認定のとおりである。

(2) 被告組合の青年部は、規約、大会、委員会(執行部)を有しているが、本来被告組合の規約上は執行委員会の活動を具体的かつ積極的に行うために設置された青年婦人部であり、これを通称青年部と称しているにすぎないものである。したがつて、被告組合から独立した組織ではなく、被告組合の組織内において被告組合の運動方針及び被告組合の大会、執行委員会の決定に反しない限度で自主的な運営を認められているにすぎないものであつて、独自の立場で対外的な活動(被告組合以外の組織等と交渉をもつこと)を行うことができるものではなく、そのためには被告組合の大会ないし執行委員会の承認を得ることが必要であると解される。

(3) したがつて、原告宮本が全税関労組東京支部青年部長からの要請書に対し被告組合青年部部長として回答を行うにあたつては、被告組合の組織上少くとも被告組合執行委員会の承認を得なければならなかつたものといわなければならない。しかるに、被告組合と全税関労組の関係が前記認定のとおりであり被告組合として全税関労組との関係に慎重な態度をもつて対している際に、被告組合の要職にある者であるにもかかわらず、原告宮本が当然尽すべき手続である被告組合執行委員会の承認をえないで回答を行つたことは、単なる形式的な手続違反にとどまらず被告組合の内部規律ないし秩序を乱したものであり、規約二八条にいう「組合の統制を乱したもの」に該当するというべきである。もつとも、原告宮本は、右回答を行うにあたつて青年部委員会における検討を経てその決定のもとにこれを行つていること及びその回答の内容においては格別問題にすべき点のないことは認められるが、これらの事実は、前記のような事情のもとで回答にあたつて本来履践すべき手続を怠つたことの責任を直ちに免れさせるものではない。

(四) 原告宮本は、三四万円とる会の会員ではあつたが、それほど活発に同会の活動に関与していたものとは認められない。しかし、同会の性格、活動は前述のようなものであり、原告宮本が同会からの脱会を勧告しまた執行委員として同会所属の組合員に脱会を説得する被告執行委員会の決定に従わなかつたことは、原告宮本が執行委員でありしかも青年部の最高責任者である部長の地位にあつたことに照らせば重大な規律違反であるといわなければならない。しかも、青年部大会において本来従わなければならない執行部の決定を公然と批判しこれに従わないことを公言する趣旨の発言をしたことは特に重大な規律違反である。そして、青年部大会において運動方針として全税関との関係をふれてはならないとする執行委員会の決定を執行委員として忠実に青年部執行部に伝え大会において右決定に従つて青年部執行部を行動させるべき義務があるにもかかわらず執行委員会の決定に反して全税関との関係を運動方針に関連して積極的に討議するよう呼びかける行動を書記長、副部長にとるに至らせたことも、また重大な規律違反である。更に、全税関労組東京支部青年部長からの要請書に対し被告組合執行委員会の承認を得ないで回答したことは、その回答内容において特に問題はなく、またそれが青年部委員会の決定に基づいてされていた点を考慮しても、被告組合の重要な地位を占める者としては極めて軽率な行動であり、被告組合の内部規律ないし秩序を乱す行為であつたものといわなければならず、以上の各行為をあわせ考えれば、原告宮本の行動は重大な統制違反行為であるというべきである。

前述のような被告組合と全税関労組との緊張関係(特に昭和四八年春ころまでには更に被告組合を脱退して全税関労組に加入する者を生じていたのであるから、被告組合側としてはより一層警戒を強めていたと考えられる。)のもとにおいて、前記のように原告宮本が全税関労組に関係のある内部規律ないし秩序違反行為を繰り返したことについて、被告組合がこれを放置した場合被告組合の組織の動揺をきたすものと判断したことは、客観的にみても相当であり、したがつて、被告組合がその団結を維持するため原告宮本に対して除名をもつて臨んだことは、やむを得ない措置であるというべきであり、これをもつて権利の濫用であるということはできない。

6  原告らは本件につき被告組合は原告らに対し統制権を行使することは許されないとして種々主張しているが、その主張の理由のないことは、すでに詳述したところから明らかである。

三  除名手続について

(1)  除名の手続に関しては前記認定のとおりであるが、この認定事実によれば、原告らに対する除名手続は適法に行われたものというべきである。

(2)  原告らは、右除名手続は公正な手続をふんでいないものであると主張する。たしかに第九回定期大会前に被告組合執行部が原告らに対する除名決議の成立をはかるため活発な教宣活動を行つたことは認められる。しかし、これに対抗して原告らが所属していた青年部も原告らの除名反対運動を活発に行つていたものであり、また、被告組合としては、大会前に、組合員全員に配布される機関紙である組合ニユースに原告らの弁明をそのまま掲載して発表させているのであつて、更に、大会当日にも原告らに弁明の機会を十分に与え、長時間の討議を尽して採決を行い原告らの除名を決議していることが認められるのであるから、原告らに対する除名手続が公正を欠くものとはとうていいえず、原告らの主張は採用することができない。

四  結論

以上検討したところによれば、本件除名処分は適法有効というべきであり、したがつて、本件除名処分の無効を前提とする被告組合員たる地位確認を求める原告らの請求及び本件除名処分の違法を前提とする原告らの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久)

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